地球の隅っこの暮らし~子宮体がんと夫のうつと人生のかたち

体験したがん、そして夫のうつ、日々の思ったことなど

更年期の症状だと思っていた不正出血がまさかの子宮体がん!(2017年)
がんを乗り越え、仕事をしつつ、
これから迎える人生の後半を楽しむためのブログです

幼稚園の記憶

園内での保育士による虐待がニュースになっています。


私の体験をつづりたいと思います。
人によってはこれから先は閲覧注意です。
少々胸糞な文章もありますし
気分のいいものではありません。
苦手な方は
写真から先は自己判断でお願いします。



私はカソリック系の私立幼稚園に通っていました。
市営のバスで30分以上かけて通っていました。
私は本家の初孫で、祖父は町の名士でもありました。
見栄でもあったのでしょうか。
地元でそんな保育料の高い幼稚園に通う子はいませんでした。


年長の時の担任がとても怖かったことを思い出します。
発表会の演奏の練習で、
担任の20代の先生が
毎日順番に数分
4~5人を居残りさせ
他の教室の子供が帰りの用意をしたり
遊んでいたりする中
窓やドアをあけ放ち
演奏させ
あまり間違ってもいないのに一人一人
平手で思い切り
おしりをバンバン叩いていくのでした。
鈴の担当だった私もあまり間違っていないのに
先生は何かを言いながら
演奏している私たちのおしりを叩いていきました。
今思うと
ほかのクラスの先生が間に入ることがなかったのが不思議です。
私は泣きはしませんでしたが
幼い心で「自分が悪い」と思い込みました。
とにかく怖かったですしね。
叩かれた次の日は別の数人がやられてて
ピアニカの子は、泣いてました。
つまり、クラス全員が
他のクラスの子供が見ている中
おしりを叩かれていきました。


発表会のことも卒園ももう記憶にありません。


ただ、卒園後に
その先生の家に友達と二人よばれました。
先生はお母さんらしき人がいる時は
穏やかに何かを話していましたが
いなくなると黙り込み、
イチゴのショートケーキを食べるよううながし、
オレンジジュースのお代りをつぎ足し
食べている私の顔ををテーブルの向こうから
顔を突き出し黙ってじいーっと覗き込むのです。
その時の不思議な感じが忘れられません。
私は出来が悪かったので彼女のお気に入りでもなく
仲良く遊んだこともない。
それがなんでケーキおごるんかな?と。
当然何も話すこともなく帰されたんですが、
だいぶ大きくなって
ああ、あれは口止めだったんかな、と思うようになりました。
本当の所はわかりません。


地元の幼稚園ではなかったのでこの話は
誰とも共有できませんでした。
親にも言えませんでしたね。
私は私が悪いと思ってましたから。
叱られるのは私だろうと思っていました。


なのでこの先生がどうなったかはわかりません。


もう50年ほど経った今、
幼稚園の記憶は薄れてきていますが
この記憶だけは鮮明です。
先生の笑わないあばただらけの頬も思い出せます。
どうして私は隣の優しい先生のクラスにならなかったんだろうと
ずっと思っていたことを今になって思い出しました。


この子供のころの体験が私にどんな影響を与えたか
なんていうメンタルの話は
よくわかりません。
ですが、
この記憶をたどって文章を書いた後
心がずっと悲しいままでした。
仕事で集中していても
突然泣きたくなってしまいました。
半日そうでした。


悲しいこともあったけど
楽しいこともあったと
思い出しました。
園には自然豊かな遊び場があり
ツリーハウスがありました。
人の心は強いです。
忘れても忘れなくても乗り越えていくんだと思います。

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